2002 年 7 月初め(妊娠 7 週目)
体の異変に気付き始めたのは 7 週目ごろのことです. あの「気持ち悪ーい」が毎日襲ってきて, 「もしや...」とピンと来たのです. 数ヶ月前に流産したばかりだったので, しばらくは生理が不順で「まさかね」と思っていたのですが, 毎日ちゃあんと「うぇーっ」とくるので, どうしても突きつけられた事実を認識してしまいます.
医者に行くのはそう急がんでもいいだろう, と思ってしばらくは放って置きました. しかしながら, 妊娠初期に効果的といわれる「葉酸(ビタミン B の一種 ... folic acid)」を購入して, 鉄分と共に取り始めました.
2002 年 7 月 3 週(妊娠 9 週目)
そろそろ GP(ホームドクター)にいこうかと予約を取り付けました. 前の妊娠(流産したけど)の時にお世話になった女性の医者です. いつもはけちくさく, Bulk Bill ( メディケアカードを持っていれば無料で診察を受けれる数少ない GP )の医師のところに行くのですが, その医者は評判が芳しくないのと, 男性なので止めにしました.
尿検査で予想通り妊娠の「陽反応」がでて, 血圧測定と血液検査をします. 血液検査の結果は 1 週間ほどでわかりますが, 問題はありませんでした. 日本で血液・血圧検査をするといつも異常が出て, 「血圧が低すぎる」だの, 「コレステロールが高い」だの, 「白血球が通常の 3 倍ある」だの言われていたので, 検査は嫌いだったのですが, オーストラリアに来てから食生活がバランスが取れているのかストレスが少ないからか,全て平均値内に収まります.
通常の診察は一回 40 ドルほど, 妊娠検査で 12 ドルほどかかります. 全額をその場で支払い, メディケア加入者ならそのうち 30 ドル強がメディケアオフィスで戻ってきます.
わたしは妊娠年齢が高く, マル高にはいってしまうので, 妊娠 12 週にダウン症検査を受ける予約を病院で取るために, GP に紹介状をかいてもらいました.
2002 年 7 − 8 月中旬
妊娠してテキメンに変わるのが「前向き度」です. 新しいことにチャレンジするのが億劫になり, 保身に入ります. それまでは色々と仕事も新しいのに応募していたのですが, とたんにやる気がなくなりました. たまたま前に登録していた学校から仕事が舞い込んだので, 8 月からまた別のハイスクールで週 3 日教え始めましたが, そうでながったら新しいことなんて全くやる気がしません.
英語ではつわりのことを morning sickness というそうですが, わたしのは afternoon sickness で, 午後に強烈に気持ち悪くなります. とたんに機嫌も悪くなり, 家族に八つ当たりし, 晩御飯も作れず/食べれず状態になります. 仕事をしていて良いことは, 仕事中は気持ちが張っていて妊娠のことをあまり考えないので, つわりに始終襲われるということがなくなることです. その分後に来ますけど.
食べ物の好みが変わるのは毎度のことで, フルーツお化けと化し, 林檎に梨にオレンジと, 旬のフルーツを大量に買い込んで消費しています. 乳製品にも執着するようになり, ヨーグルトにチーズ, バナナと苺シェ-キなど毎日嬉々として食べています. また子供が牛乳アレルギーになりそうだァ.
日本食が食卓に上る率が高くなり, オカカおにぎりと卵焼き, 豆腐の味噌汁でご機嫌になっていたりします. キャンベラではおいしいうどんが食べられないので「ああ, うまいうどんが食べたい...」と毎日夢見ています. それまでは現地の材料で大抵済ましていたのですが, 最近は中華食材店に日本物を買いに行くことが多くなりました.
2002 年 8 月 3 週(妊娠 12 週目)
予約を入れていたキャンベラ最大の公立病院 Canberra Hospital に超音波測定に行きました. 一時間前に水を三杯飲んで膀胱を膨らまし, 画面に胎児が映り易いようにしておきます.
スクリーンに映る胎児の映像は感動的でした. 全身が人間型にしっかり出来上がっていて, 横顔が妙に辛気臭く, 「うわぁ, 人間だぁ」と視覚が脳にびりびりとショックを与えます. 手足をちょこちょこと動かし, 心臓はバクバクと力強く動いていました. 頭周りや身長を測定し, 特に首の裏のしわの数と溶液を見ながらダウン症の危険度を算定するのだそうです. ダウン症の子供は一般に首が太く手足が短いそうで, この検査の正確度は 70 パーセントだそうです.
わたしは年齢からしてダウン症の危険率が高く, 通常 260 分の 1(36 歳)だそうですが, 検査の結果は危険度 1800 分の 1 だそうで, これは 15 歳の女の子並の確率だそうです. それを聞いたとき笑っちゃいました. 「心配ならばより正確な羊水検査ができる. しかしこの検査は流産の危険性が 200 分の 1 あるよ. 」といわれてもちろん断りました.
今度の子供は上の娘と 6 つ年が離れることになります. 日本ではよく「子供は二つ違いがいい」といわれ, 友人達もそれを意識して, 二人目を望む友人達は 2−3 歳違いを目指していましたが, そんなことは全く考えませんでした.
何でかなあ, と考えてみると, 我々の日本での職場環境が, 子供にやさしくなかったからです. わたしは高校教員でしたが, 妊娠中, 特にだいじな初期に受けた数々の意地悪は, 今でも忘れられません. 休みたくても休めず, つわりとホルモンアンバランスでぼろぼろの初期,入試の日に調子が悪くなり, 「その日の面接官をはずしてください」と自ら言いに行ったのに, 「ダメだ」といわれて職員室でワンワンに泣いてしまった時です.妊娠初期の気持ちの浮き沈みはどうしようもなく, 実はおなかの大きくなった「誰にでも分かる」後期よりも大事な時期なのです. 周りの女性達も, 何人か同じころ妊娠していましたが,「教師」という仕事柄は流産の危険度が高くなるといわれ, 30 前後の友達や同僚は軒並み流産したり, 6 ヶ月死産だったり, 切迫流産しかけて長期入院したり...と, 「妊娠 2 回に 1 回は何かが起こる」くらいの確率だったので, 何か起こるのは当たり前, と思っていました.
「意見を言う小ざかしい女は, 弱った時にいじめてやれ」というやり方は, 子供が生まれてからも続きました. 旦那が東京, わたしが愛知で仕事をしていた, 子供が一歳半までの時期が一番大変でした. わたしのほうの職場は相変わらず意地悪で, 子供が入院しても水疱瘡で保育園にいけなくても「そんなに休んでもらっては困る」といって, 「山口からお母さんに来てもらえ」とも言う始末でした. 病院から登校し, 授業のある間は兄貴に頼んだり, 知り合いに一時的に見てもらったりして, 急場をしのいでいました.
職場には, 話に乗ってくれる良い同僚もいたのですが, やはり「お手柄と昇進」を求めて奔走する輩に対抗する強さはなく, 「住みよい職場」を目指すよりはむしろ「競争を促進する」せちがらい職場になっていきます. こんななかで二人目を二年以内に作ろうなんて思いもよりませんでした.
しかし, キャンベラに来て 3 年目, 現地に根付き気持ちの余裕も出来, 35 歳を超えたところで「二人目がいてもいいなあ」と自然に思えるようになりました. Biological Clock ってやつかもしれませんが, わたし達にはいいタイミングだったと思います. わたしは子供はあまり好きではないのですが, 旦那が超協力的な子供大好きマイホームパパなので助かってます.
2002 年 9 月 1 週(妊娠 15 週目)
15 週目に入ると, つわりも格段に軽くなり, 普通に食べれるようになってきます. ここで最初の病院検診があり,「体調と過去の病歴, 家族の病歴, 過去の妊娠の様子」などについてきかれます. 触診と血圧を測り, 心音を聞かせてもらいました. 「乳癌」や「妊娠糖尿病」などについて質問し, ゆっくりと助産婦の人とお話しました. ここで次の 20 週の検診の予約を取ります.
キャンベラで公立の病院出産を望む場合は, 北のカルバリー病院 か, 南のキャンベラ病院の Maternity Unit になります. ほかに, プライベート病院で, とか, 助産婦さんに助けてもらって自宅出産と言う選択もあるようです.
2002 年 9 月 3 週(妊娠 17 週目)
17 週目にもなると, おなかが小さめだとは言っても目ざとい人は気付きます. 普段穿いているズボンやスカートは全く入らなくなるので, 新しいゴムや紐のものを買ったり, だんなの服を借りたりしています. つわりも少し戻ってきて, 辛いものや脂っこいものに胸焼けするようになります.バナナほどに成長した胎児の動きを感じ始めたのも 17 週の中ごろからで, 小さく「クニクニクニッ」と動く様子が伝わってきて, 「お, まだ生きとる」と,時どき教えてくれます.
2002 年 10 月 2 週(妊娠 20 週目)
この段階で, 普通の人は最初の超音波測定を受けるのですが, 私にとっては二回目です. 頭のサイズや身長, 心臓の動きや心拍数, 腎臓が働いているか, 羊水は足りているか, 胎盤の位置は異常ないか... など, 念入りに検査します. 私の場合は, 胎児のサイズが標準よりすこおし小さいので, 「妊娠 18 週くらいの大きさだね」と言われました. 日本にいても, 妊娠中のおなかは小さめだったし(生まれた子供は 2800 グラム, と小さめだった), 旦那も私と同じくらいの身長ですから, 小さくて当たり前です.
しかし, ちょっと心配になったので医者に相談すると, 「こんな検査の数字はばかげてる. 気にする必要は全くなし.コレは, オーストラリアの標準値に当てはめてあるから, 交じり合った全ての民族をごっちゃにして出した数値に過ぎない. 栄養不良とかの問題があるなら,(普通は脳の成長を最優先するので, )脳のサイズは標準で, 栄養の行き渡らない腹回りが小さくなる. あなたの場合は逆でしょう. 胎児の腹回りのほうが標準値に近い.何も問題がなく育っている証拠だ. どちらにしても, 24 週以前で胎児が自力で生存する確率はゼロだから, それまで為す術はないわけで, 心配せずにゆったりすごすことだ.それでも心配だったら, 24 週目に, 成長を確認するために超音波測定をしてもいいよ. でも, 僕だったら, 全くその心配はしないけどね. 」と,ユーモアを交えて, 説明をしてくれました.
そこで, やはり 24 週目に確認の超音波測定をしてもらう予約を入れてもらいました. 「成長が心配」というよりも, 「大きくなった様子を見れるのはうれしいし, 子供の性別が(今回は, 聞いたけど)分からなかったので, また次回に見てもらおう」と思ったからです.普通は最初 20 週目ごろに超音波測定して異常がなかったら, 後は測定することはないそうです. 医者が毎回診るのは, 血圧と心音と触診だけです.
2002 年 10 月 4 週(妊娠 22 週目)
おなかが突っ張る感じが強く, 皮膚が痒く感じられます. 胎児の起きている時と寝ている時の周期がはっきりしてきて,「ボコリボコリ」と蹴られている時と, 全く静かな時が代わりばんこにやってきます. 体重が普段の 5 キロ増しくらいになり, 顔も丸くなってきて,「ちょっと食べ過ぎみたい.」と思うようになります(実際, のべつ幕なしで食っている... わはは). 動きがボテボテしてきて, 上を向いて寝られなくなります.腹ばいで寝るなんてもってのほかですけど, ソファーとかにも横になり辛くなり, 腹の下にクッションを置いたり足の間に枕をはさんだりしていますが, 気持ちよく眠れることは稀です.
日常生活は大抵のんびりしているので, ストレスなく楽しく暮らしていますが, なぜかしばしば, 明け方に悪夢を見ることがあります. それも決まって日本にいたころの, リアルな職場シーンなんです. 心のトラウマとして残っているのが浮上してくるのかもしれません.
血液量の増加に伴って妊婦は不足しがちな鉄分補充を進められることが多いですが, 今回は体の調子がいいので, 最初妊娠 3 ヶ月のころ一月間だけ鉄分と葉酸を取ったほかは, 何も飲んでいません. 鉄分を補充すると, テキメンに便秘になって不快なので助かってます.
2002 年 11 月 3 週(妊娠 25 週目)
妊娠 7 ヶ月に入りました. 妊婦歴もベテランの粋に達した, と言うところです. 身体も精神も安定してきて, 妙な心配をすることは少なくなりました. 25 週目検診に行っても, 心音を図っている最中に「ボコンボコン」と胎児が蹴るのが外目からも分かり, 助産婦さんと二人で「元気ねえ」と笑っていました.
血圧がいつも通り低くて, 今回は最低記録に近づく「血圧 80・50」というあきれる数字でしたが, いつも低くて 100 行くのは稀なので, 「ま, こんなもんかなあ」と思いました. ただ, 血糖値や血中鉄分が足りなくなっている可能性もあるので, 低血圧とあいまって「ふらっ」として倒れた拍子に胎児にダメージを与えることがないよう, 少しでも疲れを感じたら座って休むようにとアドバイスされました.
妊娠中は, 血液を 4 割ほど増産するので, 血管が浮き立ってくるのが分かります. 娘は青筋が立って乳首の黒くなった母ちゃんの体を見て, 「いやぁー」と逃げ出します. ほかに目立って変化するのは, すねや腕の毛が薄くなることでしょう. 夏に向かっていつもは「お手入れ」を考えさせられるのですが, 今年はつるつるです!
暑くなってきて「ビールのおいしい季節」なのでしょうが, 普段は毎日飲んでいる私も, 妊娠するとテキメン欲しくなくなり, 旦那がうまそうに飲んでいるのをみても「何であんなの欲しかったんだろう」と思う始末です. 飲みたくて飲めないのは辛いですが, 自然に飲みたくなくなるのです. ホルモンの影響は偉大です.
おなかが大きくなってくると, 下のほうの筋肉が引っ張られ, なおかつ重さで圧迫されるので, くしゃみの拍子におしっこが漏れちゃったり, 痔が悪くなったりします. 意識して筋肉の鍛錬をするのですが, やはり色々と緩んでいるのが分かります.
夜寝ていても, 右に左にと何十回も寝返りを打つので, 眠りは浅いです. 妙にリアルな夢を毎晩見ます. 夜中にトイレに経つ回数も多くなりました. 眠りが浅い分, お昼寝をすると調子が良いです. 30 分くらいなら, まだ上を向いて寝られるのですが, 背骨が圧迫されてくるのが分かるので, また横向きになります. 寝ているときに, 動かした拍子にいきなり足がつるのも妊婦の特徴です. 前回もそうだったのですが, 今回も妊娠中期を過ぎたころから, 夜中に時々「ウゲエッ, 足がつった!」と叫んでは, 旦那が足を直してくれます.
24 週目くらいから, 他の人が触っても動きが分かるようになったので, 「おーい, 遊んでるよぅ!」と家族を呼びつけては, 腹を触らせて動きをみて楽しんでます.
そろそろ産後のことを考えねば, と, 乳児保育をしてくれるセンターを探してウェイテリングリストに載せました. 保育施設はいつも一杯で, 質や条件もまちまちなので, 自分にあった選択を早くからしておかなければなりません. 私が申し込んだのは, 朝 8 時から夕方 6 時まで預かってくれる近所の YMCA の保育施設です. OK が出るとは限らないので, 後ひとつ二つ申し込みをしたほうが良いかもしれません. 一応, 現時点では, 一学期だけ休んで 2 学期から職場復帰をしようと考えています. パートタイムで週に 2−3 日仕事に出かけるのは, 「乳児と 24 時間いつも一緒」状態から適度に開放されますし, なおかつ仕事で疲れすぎないので, バランスが良いと思うからです. でも, 実際どうなるかは分かりませんよね. 気が変わるかもしれないし, 子供や私の産後の状態も予想通りに行くとは限りません. 出産って命がけだもん! 双方共に.
2002 年 11 月 5 週(妊娠 27 週目)
なぜか三度目の悪阻の波がやってきました. 午後になると気持ちが悪くなって調子が良くないのです. 身体も腹が出っ張り重くなってきて, 重心が変わり, 足の付け根のジョイントが出産準備のために緩むため, 歩みがのろくなります. 娘の学校の送り迎えも「健康のため」と歩いていますが, いつもは 6 歳の娘よりも数段速く歩いて娘をせかしているのに, 最近は私のほうが歩みの遅い亀になっています.
2002 年 12 月 1 週(妊娠 28 週目)
病院に行って, 血糖値と鉄分値を計りにいきました. グルコースドリンク(炭酸が入っていてスプライトみたいな味, 300 cc)を貰い, ストローでチュウチュウと吸って 5 分以内に飲み干し, 一時間後に採血します. 結果が出るのは翌日になります.
トロトロと, 情けなく歩いているのでしょうか, 学校のお迎えや帰りに娘のクラスメートのお母さんの車に拾われることが多くなりました. 「乗せてってあげる. 暑くて大変でしょう!」と言ってくれるのでうれしいですが... 「健康のため」と(たった片道 10 分ですけど)歩いて送り迎えしていたのも, しばらく断念するかもしれません.
寝苦しくて眠りが浅いのと, 股関節の緩みで歩くのが辛い話をしていたら, 「針マッサージがいいわよ. ヨガもいいし... 連絡先を教えてあげる!」と言ってくれる同僚がいます. これ以上ひどくなったらお世話になるかもしれません. そろそろベビーグッズをくれそうな人に声をかけ始めました.
2002 年 12 月 3 週(妊娠 30 週目)
定期検診に行ってきました. いつもの助産婦さんです. 体重は 8 KG 増, 心音 OK, 血圧も 100 に上がって順調です. ただちょっと気になるのは 2 週間前の血中鉄分の値が, 初期よりかなり下がっているので「鉄剤を飲んだほうがいいでしょう」とアドバイスされたことです. 帰り道に薬局で薬剤士さんと相談しながら, 薬を選びました. 増加を続ける血液中の鉄分を上昇させるのは無理でも, せめて維持はさせたいと思って, 一回の鉄摂取量の多いほうの薬を選びました. 鉄剤は, ビタミン C と一緒に取ると吸収が良いそうなので, ジュースと一緒にのみ, 便秘対策にプルーンやらバナナやらも取っています.
定期検診で病院の医師や助産婦さんと話していて気持ちよいことは, 「−に気をつけなさい」とか, 「標準値から外れすぎている. ―をしなさい」などといった, 上から物言いをする「指導的態度」がないことです. 人間として対等な立場で, こちらの気持ちを十分に聞いてから対応策を考える, という接し方で好感がもてます.
ベビーグッズを譲ってもらえないかと声をかけていた, めぼしい同僚や友人から続々と物が届き始めました. お金が有り余って初体験にうきうきしている初産ならともかく, 1−2 年ですぐ使えなくなるものを全て買い揃えるなんて無駄です. 「ベビーベッド」に「ベビーカー」, 「カーシート」, 「ハイチェア」などが揃いそうで助かります. 皆さん, 捨てるのが忍びなくて物置に積んであったりするのです. 赤ん坊は色々と出費がかさむので, 収入の減る初期は, 特に財政を引き締めないと... 仕事を再開しても, 子供を預かってもらうのに意外とかかるので, 私の収入の 3 分の 1 以上がチャイルドケアに消えていく算段です. (道理で小さい子供を二人以上抱える母親は仕事ができないはずだぁ)日本では, 一般に給料が良くて(こちらの 2−3 倍)保育料はこちらと同じくらい(フルタイムで最高月 6 万円くらい)なので, 日本のほうがずっと経済的には働きやすい状況にあります. 6 歳と 2 歳の子供を抱えるドイツ語教師のサンドラは, 「私なんか, 給料の 4 割強が保育費よ!」といっています.
2003 年 1 月 2 週(妊娠 33 週目)
背中痛が始まりました. 出っぱった腹を支えるために背骨が湾曲し, なおかつ筋肉が緩むので, 背中が痛くなります.就寝中は, 横を向いて寝るしかないのですが, 腹が下に垂れるので非常に寝苦しいです. (腹支え用の予備枕が出動する!)夜中に「苦しい苦しい」とうなっています.
真夏の暑い時期ですが, 胎児を抱えた身体は体の中にヒーターを隠し持っているようなものなので, 通常の体温より 1−2 度は高く感じられ, 暑くて暑くて, 台所のタイルの上でマグロのようにデレーンとのびています.
こんな不快な状況が, 後 7 週間も続くのかと思うとたまりません.
2003 年 1 月 3 週(妊娠 34 週目)
定期検診にまたカルバリー病院に行ってきました. 隣の隣の地区にあって, 車で 5 分ほどのところなので, 救急にも便利です. 今回は助産婦さんではなく医師(前回とは違う人... 公立は医者を選べない)に診察してもらいました.
その日の診察は, 異様に混みあっていて, 約 2 時間遅れでやっと診察の順番が廻ってきました. おなかの大きな女性達が, それも皆さん私より一回りも二周りも大きくて, たくさん集合している様は圧巻です. 順番待ちが長かったので, 座っている椅子の背中が痛くて何度も立ち上がったり, 向きを変えたりしてしのいでいましたが, 他の皆さんは涼しい顔です. 町を行く妊婦さん達を見ても, 平気な顔で難なくいつも通りに過ごしていて, 「妊娠」という状態に負けていない様子です. 私なんかは妊娠に圧され気味で, もろ情けなくトロトロ(歩みはのろい)ズンドコ(腹を突き出してガニマタ気味)歩いていますけど.
骨格と基礎体力が違うので, 普通のオージー女性と比較してもしょうがないのかもしれません. 今回は先週の超音波測定の結果を基に話をしたのですが, 今回の医者はやたらと「標準値」にこだわる人で, 「胎児が週の割には小さい. (と言うより小さすぎる... と言っているみたいだった)理由としては二つ考えられる. 栄養不良か, 単に小さい子供であるか, です. 」といって, 延々とサイズの話をするので閉口しました. だって私はサイズなんか全然気にしてないもの. 小さいに決まってるじゃない. 私は日本女性の標準だから, オージー女性の一番小さいサイズだし, 旦那に至っては, 大人サイズはなくてボーイズでいつも着る物を探しているくらいだし... 子供はクラスで一番小さくて(多分日本でも最小の部類だと思う), オージーからしたら二年遅れくらいだし... でもそれが何なの?って言う感じですね. 相応に発達しているし, 病気もないしよく食べるし. 元気で毎日成長が見えるから, 「小さい」なんて何でもありません. 中身は反対にオマセさんなくらいですもの!
医者にしても, 昨今は些細なことでもクレームをつけたり, 簡単に訴訟を起こされたりするので, 防衛のために「説明, 合意, 検査」を繰り返すのでしょう. 日本の役人や医者の偉そうな態度も頭にきますが, こちらはともすると, クレームを恐れて必要以上に慎重な公務員や医者もいます. 対等な信頼関係が大切ですね. 医者はやっぱりどーんと構えておおらかで, なおかつ無神経ではなくこちらの心配事をプロとして聞いてくれる人がいいなあ. 子供のサイズの話なんかじゃなくて, 胎盤の位置が低い話だとか, 鉄分の話だとか, 痔や尿漏れの話なんかをしたかったのに. 医者って半分は精神カウンセラーみたいなものだから, 患者の気持ちを汲み取らなければなりません. 今回の医者はそういえばいつものように「何か気になることはありませんか?」とは聞いてくれなかったなあ.
妊婦になって気をつけることは, 酒タバコを控えるのはもちろんのことですが, たべられないものリストがあります. 寿司などの生魚(スモークしたものでもダメ), 半生卵(チョコレートムースなどは生卵を使っているからダメ), パテ類, ソフトチーズ(カモンベールとかブリ-, リコッタとか), デリやテイクアウェイのハムやサラダ類, お惣菜, チキン,ファーストフード店なんかで売っているソフトクリームなどです. 理由は菌が繁殖する可能性が高いからだそうです。(夏場に30セントソフトクリームが食べれないのは痛い!) 家で作ったものでも, 調理して 12 時間以上たったものは, 高温で完全殺菌しない限り食べちゃいけないそうです. キャンベラは大きな魚屋さんでも魚が余り新鮮じゃないし, 今は夏でもあるので最近は魚を食べていません. 缶詰のツナとか鰯くらいかなあ, 食べてるのは. たまに日本料理店に行っておいしそうな新鮮な刺身なんか見ると無性に食べたくなります. もうすぐコーストに旅行に行くので, 新鮮な魚介類を食べるのを楽しみにしています.
羊水の量が充分で, へその緒の血液循環量もばっちりな胎児(これは, 妊娠をつかさどる胎盤が十分に機能している証拠の数字だそうです. って言うことは栄養不良じゃないジャンか!)は, 今日も母ちゃんにえげつない蹴りを入れて, エイリアンのように腹の皮を食い破らんかの勢いで動いています.
2003 年 2 月 2 週(妊娠 37 週)
コーストの旅行から帰ってきました. 日本だったら, 妊娠 9 ヶ月の妊婦が, 自分で片道 800 キロ運転して 10 日間も旅行するなんて, 顔をしかめられるかもしれませんが, 別に何も言われることなく, 楽しく旅行してきました. 一応妊娠経過を記す書類を携帯し, 腹のサイズを気にすることのないビキニを買い込んで出かけました. 記念に一枚ビキニ写真を撮りましたが, 丸々とした腹が突き出ていて, とても印象的な一枚になりました.
37 週検診は, また違うお医者さんでした. 今回はインド系医師で, 前回医師にサイズの話を延々とされた話をしたら, 意にも介さず, 「あなたのは, 単に小さい子供なんです. 子宮のサイズは充分だし, あなた自身が小さいのだから子供が小さいだけです.」と, 涼しい顔でした. 「小さ目の子供は, 予定日を過ぎて出てくる傾向がありますか?」とたずねると, 「そんなことはありませんねぇ.」という返事でした.
体がしんどいので, 「予定日より早く出てくればいいのに...」と思っていたのですが, 現時点でオージーの胎児の平均の約 3 分の 2 の 2 KG, というサイズなので, 平均出生体重が 3.75 キロと「どでかい」オーストラリアでは, 我々の子供は保育器に入れられてしまうかもしれない...と思い, 「ま, また, 予定日を過ぎてもいいか...」と思い始めている今日この頃です.
2003 年 2 月 4 週(妊娠 39 週)
後三日で予定日!という, 2 月 23 日の早朝六時に, 羊水の一部?が少量漏れでてきました. 「あ, これは来たな」と思ってしばらくすると, また六時半ごろに同じ事が起こりました. 痛みが全くなかったので, もう少し様子を見ることにし, 八時ごろになって病院に電話をかけて現状を説明すると, 「朝ご飯を食べてシャワーを浴びてから, 九時ごろに入院準備をしていらっしゃい」 とのことでした.
あらかじめ頼んでおいた友人宅に上の娘を置いて, 旦那と二人でカルバリー病院についたのは九時半ごろでした. 少し前から生理痛のような鈍痛が始まり, もれ出てくる液体は少し粘りを帯びて血液を含んだ液体に変わってきました.
すぐに出産の部屋に通され, 病院のガウンに着替えて準備万端です. ベッドに寝た姿勢が苦しいので, 椅子に座っていました.
それから子宮口が 10 センチまでに開く第一段階の終わりまでは, まあ, 痛いですけど, 陣痛の波の時だけ「ヒーヒーフー(呼吸法を教わったわけではないですが, なるべく歯を食いしばらないようにしてしのぐ)」 と呼吸しながら過ごし, 意外と耐えられる程度のものでした. 午後一時前には第二段階に突入し, 「え, こんなもんなの?」という感じでしたが...
第二段階, これはあと, ほんの 10 センチほどで胎児が出てくる最終のトンネルで, 胎児の頭が変形しながらぐるぐると旋回して産道を降りてくるわけですが, これが痛いのなんの! 経験者なんだから, 上手にいきめばよいのですが, 先回は半身麻酔を打っていたので全く痛みを感じず, 最後は吸引器具で子供は引っ張り出されたので, 初心者と同じです. 今回は痛み止めなしでこの「一番痛い」段階に突入し, いきみ方も良く分からず(だって前回やってないもん), そばについている助産婦さんが push, push! というのですが, あまりにもへたくそなようで子供は一向に前進してきません.
一時間半経ってもこのままで, 頭部が湾曲した産道の底部に停まったまま, 胎児は最後の上昇カーブを上って来れない様子でした. 「ああ, 頭が見えているねえ」 「進まないなあ」 と旦那と助産婦さんが話すのを恨めしげに聞きながら, 「ああ, もう生まれてこなくてもいいから終わりにしてくれぇ」 と, 気絶しそうな痛みに耐えていました.
「陣痛の波が来たら思い切りプッシュするのよ. 夕飯時までこのままでいたくないでしょ!」 と助産婦さんに叱咤激励されるものの, 進展はありません. 「立ち上がってごらん, 重力がうまく作用するわよ」 といったり, 「トイレに座ってみるといいわよ」 とも言ってくれるのですが, 私のほうにそんな位置を変えたり, まともに返事をする余裕がありません. あきれた助産婦さんが 「吸引する?お医者さん呼びましょうか?」 の問いにすぐさまイエス!と答え, 電話を入れて, その日の担当医がやって来るのを待つ間の長かったこと!
渋滞に巻き込まれた医者(病院でスタンバっているのではない...自宅から来院)が到着するまで一時間近くかかり, 局部麻酔をしてから, 無事午後 3 時 2 分, 2840 グラムの女の子が生まれたのでした. このときの Dreher 医師は, 妊娠 20 週の時にも診察してくれた感じのいい人で, やっぱりこのときも対応がよく, 悲惨な姿の私でもちゃんと人間扱いしてくれるのがうれしくて, 手を合わせて拝みたい程でした.
陣痛の痛みをこらえるべく, 唇をかんでいたようで, その後 2 日ほど唇が "いかりや長介" みたいに腫れあがっていました. まあ, 最後でこけて満点の出産ではないけど, がんばったね, かあちゃん!
23 July 2003 (出産 5 ヶ月記念日) 記