私たちが移住のことをぼんやり考え出したのは, イギリスから帰ってきてしばらく経った 1997−8 年ころのことです. 厳密に言うと私たち, というよりは私, 河野明子のほうです. 仕事帰りに本屋でうだうだしていたとき, 目にとまったのが「海外就職ガイド!」 《本当の題は忘れちゃいました》みたいな, 今では巷でよく見かける本でした. そのころとしては, 特に地方の本屋ではそういった類の本は珍しかったので, 早速購入しました.
その本に載っていたのは主に英語国, アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド... それとフランスと香港だったかな? について, 経験談や情報取得方法などが, 結構詳細に載っていました. ワーキングホリデーは年齢が出ちゃってましたし, 一年だけでは物足りません. もうすでにアメリカ留学は経験済み, イギリスも住んでみて, 冬の季節の長さに閉口しましたし... 何よりワーキングビザが取りにくそうです. カナダも寒いよなあ... 《私は寒いのは苦手です》とか勝手にいろいろ思い巡らしていました.
アメリカもいいかな?とも考えたのですが, 最初からグリーンカードはちょっと無理. それに, 犯罪率の高さと, 競争主義が気に入りませんでした. ワーキングビザを取っていちいちお上に更新してもらう, という構図は, 常に競争しなくてはなりませんし, お上と雇用主のご機嫌も取らねばなりません. 日本的な「みんな一緒, 一枚岩だよ目指すのは...」みたいな個人を圧迫する状況もこりごりですが, アメリカの競争原理ごりごりの資本主義の塊みたいな国もやだなあ... と, この時期は, 大きく言えば「自分が人生をどう生きていきたいか」 を考えるいいチャンスでした.
何度もこの本を読んで詳細を研究するうちに浮かび上がってきたのが, 「オーストラリアは, 自己独立で永住権が取れる!」 というものでした. 永住権っていいですよねえ. ビザをいちいち更新しなくっていいですもん. ワークビザは毎度更新してもらえる保証があるわけではありませんから. 永住権があれば, 特定雇用主に縛られず, 自由に仕事ができる, というのが魅力的でした. その上社会保障も受けられるなんて... この「自由度」に強烈に惹かれ, 何がなんだかわからないまま, 98年6月, 東京三田にあるオーストラリア大使館に手紙を書いたのでした.
最初に申請書を送って貰うのに 1000 円を払ったのが, 大使館との長いやり取りの最初です. 「冊子を読んで, 自分の希望するカテゴリーを選んでください. 申し込む場合はあなたの場合《独立永住権ですから》 10 万?千円です. 《これ, そのときのレートによって代わります. ドル建て計算ですから. 細かい数字は忘れましたが, 現在はドルがもっと安いので 9 万円くらいだと思います》」といわれ, 最初の大金を支払いました. 付け加えると, 最初から手紙は全て英文でやってきます. 担当者が日本人なのになんで, と思いますが, 覚悟してください. めんくらいますよ, いっぱい書類が英語で容赦なく降ってきますから. こちら側からの返答ももちろん英語で書きます. このやり取りを続けた 9 ヶ月間で, ビジネスレターがずいぶん上手になりました.
余談ですが, 大抵の人は永住権申請に, 専門のエージェントを利用するそうです. 値段は 4000 豪ドルくらいだそうですが. そんなこと知らなかったので, 自力ではじめちゃいましたが, 途中インターネットでいろいろ調べるうち「そっかあ, 他の人は専門の業者さんに頼むんだあ...」と気付いたのでした. 自分でやると, 先が見えないのでしんどいです, 実際.
それからのやり取りは, なんだったかなあ... あれを送れ, これを送れ, といっぱい指示がありました. 戸籍謄本を英訳つきで送る, 高校以降の卒業証明書と成績証明書を全て英文で送る, 資格や CV はもちろん, 雇用主から英文で職務証明を取り, 果てまた職務内容を詳細に英文でしたためて上司からサインを貰い...これ結構やりにくいです. 「何でいるんだ, こんなもん. やめるつもりなのか. それもどうして英文なんだ!」みたいな質問をうまく切り抜けないといけないですから. 自分以外の人を理由にするといいです. 私は「夫の仕事関係で必要だから...」とか何とか行って上司の質問を切り抜けました. 配偶者の仕事上のことはあんまり根掘り葉掘り聞きにくいですもんね. 「ちょっと事態が流動的でまだいろいろ決まっていないですから細かいことはお話できませんが内密にお願いしますね. 」と言うのも使いました. 同僚にばれたら話が一気に尾ひれをつけて広がりますから上司に口止めが必要です.
難関だったのは, IELTS を受けて, 4 領域(hearing, speaking, reading, writing)で平均 9 点満点中6以上取得せよ, というものです. このテストは, 大抵ブリティッシュカウンシルなどが主催していますが, TOEFL みたいにメジャーじゃないですし, 受けられる都市が限られており, 2 ヶ月に一遍くらいしかありません. 一回 2 万円も取られます. 私は愛知県在住でしたが, 京都まで受けに行きました. 49 日以内に結果を送れ, とか言われるので焦ります. 結果はやはりライティングが悪くて《普段練習しないもん》ぎりぎり 6 点, 後は結構良くて 4 領域の平均が 7.5 点でした.英語教師経験 10 年でこの程度ですから, ちょっとガックシきましたが, 合格したからま, いいか, ってとこでした.
私と旦那と子供の分を全て一人でこなしていくので疲れました. 特に, 私は日本とアメリカの大学の分, 旦那は PH.D まであるので, 高校+大学+大学院+博士課程と, 学業証明が大量にあります. 仕事場も,東京,愛知,イギリス...と渡り歩いているので, いちいちめんどくさかったです. 10年以内で一年以上滞在した国が他にあるときは, その国から無罪証明を取らなくてはいけなくて, それにも手間取りました.
後もうひとつ, 主の申請者《私》が, キャンベラの役所《私の場合は教職担当者》に手紙を書き, 資格と経験, 学歴を沿えて送付し, 私がその職種でオーストラリア基準を満たしているか査定してもらいに手紙を書かねばなりませんでした. これにまた 300 ドルと 1 ヶ月以上を要しました.
永住ビザは年齢《30 点満点》+英語力《20 点満点》+職歴《80 点満点... 実際は 70 点までしか与えられない》 の総得点方式で与えられるのですが, そのときによって合格点が違います. 私のときは 110 点でした. 実際の最高点は 120 点だそうなので, 110 点以上と言うと, 結構ハードルは高いです.(現在は合格点はまた下がっているようです, いつ変更されるか分かりませんが) 私の「教師」と言う職歴が気に入られたのか《オーストラリアは教師のなり手が少ない... 大変な割に, 社会的地位が低いから》, 配偶者が高学歴なのが良かったのか分かりませんが, 年齢で 5 点マイナスされた以外は満点の「115 点」の判定が大使館より通知されてきました.
その後, 問題がなかったようで, 愛知県警に出向き「無罪証明《指紋を取られるのだ!》」を出してもらい, 指定の病院で予約を取って健康診断をしました. 健康診断は家族 3 人で約 5 万円です. 指定病院も, 県に1・2ヶ所あればいいほうなので, これにも予約を取ったり何やかやで約 1 ヶ月かかります. 旦那は IELTS の大人一般の基準 4.5 を満たしているか定かでなかったので, オーストラリアに到着してから英語学校に通う費用の 18 万 7 千円をまた支払いました.
98 年 7 月に申請書を取り寄せ始め, 数々の手紙のやり取りと書類収集をし, 相手の要求をクリアしていきました. ビザが下りそうだ, と分かったのは, 99 年 4 月のことです. 「永住ビザをパスポートに張るから書留で送れ」と大使館から指示があった後に, 旦那と「本当にこれでいいのか, 本当にオーストラリアへ行くつもりがあるのか」と話し合いをし, それがもつれて1ヶ月以上パスポートを送らなかったので, 私の職場に大使館から電話がかかってきてタマゲましたけど... とにかく無事, 99 年 5 月 29 日付で我々 3 人は独立永住権を取得しました.
それからの半年間は, それまで続けた仕事の集大成時でした. 車の個人輸出の手配をし, 引越しの手筈を整え... 2000 年に入った最後の 3 ヶ月間はもう, しっちゃかめっちゃかでした. そうして 2000 年 4 月 1 日, 私たちはキャンベラへと旅立ちました. ここからが新しい生活の幕開けです.
31 August 2000