[作者紹介 AKIKOMITSUとは?]

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* 河野明子

北海道に生まれる. 愛知県にて育ち, 小学校 6 年から中学一年にかけてパリに住む. そこで出会ったパリ日本人学校での旧友達とは 20 年以上経った今でも交流がある. 大学は神戸へ出向き外国語学部英米学科に 在籍中, 4 年次に休学してアメリカのワシントン州州都オリンピアの EVERGREEN 大学に学ぶ. 一年で首尾よくアメリカの BA を手に入れ, 日本に戻った後復学して, こちらもまた日本の BA を手に入れる. 5 年間で二つの BA とは, 都合が良すぎるようにも聞こえるが, アメリカの大学は, 最後の一学年そこに在籍していて, 前の大学の単位が移行できれば卒業できる仕組みになっている. (学費の高い私立のアイビーリーグに州立大学から 3 年次終わったところで移る人も多い.)私と同い年のエバグリーン大学の学生達は「グリーナー」と呼ばれ, メンタリティ的にはグリーンピースに近いものがある. 左翼に傾きがちな大学生の中でも格別強烈なアカっぽい人たち(学生も教授連も含めて)が多く, いろいろな面で影響を受ける. 「日本人戦争花嫁」のレポートを書くべくフィールドワークを行ったが, インタビューを含めたこの作業は学ぶべきものが多かった.

卒業後愛知県の高校教員になる. 進学校に 4 年勤めた後, 商業高校に移る. 計 10 年勤めたことになるが, ストレスの多い状況だった. 私にとっては天職とも言える職ではあるが, 日本文化に根強い「組織の一員であれ. 個人的意見を出すな」の圧迫は, 私の「生き方」をも阻害する大きな要因になってきたので, より自由な環境を模索し始めた折, オーストラリアの独立永住権の情報に行き当たった. 生徒は好きだし, 英語の世界観と魅力を伝え続けたくもあったが, あまりにも「私」という一人の人間を尊重しない(皆さんに順応して, 同じようにやれってプレッシャーは随時やってきます. 横並びなら文句は言われません. ボスの意向は汲まなきゃいけません. 自分の意見は 2 の次です. 勤務時間通りに帰っては絶対ハバにされます. あまり休みを取ると, ねたまれて意地悪されます. ちゃあんとみんなと同じ時に休みましょう. 苦しげに「がんばってます」とやらないと, 「楽しそうに好きなことばっかりやって...」とまたひがまれてまた足をすくわれます.)状況だったので, 給料面など待遇は良かったが, 別な道を探すことにする.

1995 年に光彦君と結婚. 96 年に彼の仕事先のイギリスで長女「安実」を出産. 日本の「医師の指示どおりに黙って従いなさいね, 悪いことは言わないから...」のお任せ妊婦状態から, イギリスの「自由に産み方を選択してください. 同意の取れないことは(医者は)しませんよ.」の状況に妊娠 8 ヶ月でかわり, 自分はやはり「お任せ状態」は好みでないことを実感する. (注;日本はかなりいろいろときちんとしているので, 気にならないなら居心地は抜群だと思います)

オーストラリアの生活は, 先行きの見通しは立たないが, 自分で切り開いていける感が強く, パワーで突き進めば道が開かれる気がする.「ああ, 生きてる...」って随所で感じる事が多い. 疲れますよ, いろいろいいかげんだし連携も取れていないから. でも日本で随時感じていた「飼われている」っていう気は全然しなくなった. 私の「意思」と「生き方」を持ってそのまま生きてゆける気がする.


河野光彦

大阪厚生年金病院で生まれる. 大阪市福島区でメリヤス製品製造業を営む家庭で, 両親の踏むミシンの音を聞きながら育つ. 大阪市立野田保育所・大阪市立野田小学校・大阪市立下福島中学校・大阪府立旭高等学校を卒業. その後, 京都工芸繊維大学 → 岡崎国立共同研究機構分子科学研究所 → 英国 Bristol 大学 → 東京大学 → 名古屋大学 → Australian National University と履歴書が真っ黒になるくらい渡り歩いたあげく, 現在に至る. 大阪をこよなく愛し, 家庭では大阪弁を定着させようと努力しているが, 妻の中途半端な大阪弁と娘の生意気な英語に悩まされる. 最近は, 永年やってきたサッカーをしていないので, 少々運動不足だったが, 引越しして自転車を使わないで通勤できるようになったため, ほんとに運動不足.
自称, どこにでもはまれるええおとこ.
職場でのホームページはこちら.


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