お仕事探しには苦労しました. と, 本人は思っているのです.
最初の計画ではシドニーに移住するつもりだったので, さして心配はしていませんでした. シドニーは都会だし, 日本人も多くて, 日系の仕事斡旋会社もあり, 情報量も多いことから「ま, なんとかいけるだろう」と踏んでいました. 渡豪前から毎日シドニーの日本人の皆さんのサイトをインターネットで眺めて, メールなども時々出していました.
それがどうしたことか, 300キロも離れたキャンベラに来ることになってしまって大幅計画修正!を迫られ, ナスすべもなく, 現地に着て行き当たりばったりの状況になってしまいました. 現在では, 当地での日本人の知り合いも増え, ローカルのオージーの友達もできましたが, 最初は何もわからない異邦人だったので困り果てました.
家探しの苦労は先に書きましたが, 次は仕事です. 旦那はとりあえず《無給とはいえ》 Australian National University に落ち着き先があるので良いのですが, 問題は妻の私のほうです. 日系人材紹介所を当てこんでいたので, そんなものはひとつもキャンベラには存在しないので, 一から考え直しです. でも, 考えてみれば, 地元の皆さんは皆それぞれ一つ一つ地道に仕事を探していくのですから, 私にもできないはずはありません. それからまず, 新聞の土曜日版の求人欄に応募することからはじめました.
4月に移住し, 5月ごろから本格的に新聞を見て応募書類を送り始めました. 大学の一般職, 事務受付系, 国際関連系, 果てはゴルフコースにファーストフード, ホテルの受付, ルームアテンダント《部屋の掃除係》, 旅行会社, ガイド, 空港の案内会社, レンタカー会社, ユースホステルの予約係, 歯科助手... 50−60の会社に手紙を出したでしょうか. 全然ダメでしたねえ. インタビューまでこぎつけたのも数社あるのですが, 「経験」と「言葉」と「人種」の壁は厚かったです. うそでも自信たっぷりにしゃべる, というのも苦手ですし... 正直なのがあだになる, というか. その間, ローカルの人材派遣会社にも数社登録しましたが, あたりはなかったです.
高卒や若い人を募集しているのならいいかなあ, と思ったのですが, それもダメでした. Over qualification 《資格過剰》になって, 雇用主としては使いにくいのです. 若くてかわいくて安く使えるローカルの白人の子がたくさんいるので, 私に用はないです. 大家さんのジェニーは賢くも「年をごまかして高卒だって言え!」と示唆してくれましたが...
そこでひとつだけ「高卒, サービス業経験あり」で雇ってくれたのが ACT Home Help Service です(そう, resume に高卒だって書いたんです. その後は主婦してたって. やーね, う・そ・つ・き!). 政府の補助を受け, お年寄りや体の不自由な人, 家族の危機にある人達の家庭を訪問して, お掃除を中心にお手伝いをする仕事です. 結構面白かったです. いろんな人の生の生活状況が伝わってきますし, 社会の役に立ってるよなあ, と実感できました. 酸素吸入器をつけている人, 半盲目の人, 重度糖尿病の人, 精神障害者, パーキンソン病の人など...短期間ですが, いろいろな人とお話ができました. オーストラリアの影の面を勉強させてもらいました. やっぱりハンデを背負っていると, ひがみっぽくなるひともいて, いちいちいちいちこまかかったり, つっかかったりするひともいましたけど, それはそれで健康人の傲慢さを反省する材料ともなりました. 時給も13−15ドル, と悪くなかったです. しかーし, 2ヶ月の短期間とはいえ背中痛が持病になりました.
このホームヘルプの職員は, 出張出来高制のパートタイムなので, 職務条件としてはあまりよくなく, せいぜい週20時間働ければいいほうなので, それで生活を支えるのは難しく, 従って移民の宝庫でした. 皆さんとオフィスで出会っても違和感なかったです. これは珍しい体験でした. 白人天国のキャンベラではいつだって自分は少数派なんだって感じさせられますから. ここで8月と9月の2ヶ月間働きました.
その間に「日本人であること」を最大限生かした今の職「日本語教師」の広告をキャンベラタイムズ上で見つけて応募したのです.
December 18, 2000